日本で言う「起業したい」の意味って実際、お金が欲しいっていうケースが多い。あと、ライフスタイルの実現。
家で仕事をしたい、であったりとか、世界中行き来しながら自由に仕事出来るようになりたいとか。どちらかというと自分の中にある欲求を叶えるための「起業したい」が多いように思う。
だから、実施そこで何を商売にするかとか、何を商品にするか、なんてことが一切決まっていないケースが多い。今から考える、でも起業したい、みたいな流れだ。というか、大半の人がそうなんじゃないかと。
中にはそんな方向性を「起業をあなどるな」であったりとか「商売は甘くない」的な考えで否定する人もいる。プチ起業とか、副業として仕事を立ち上げるとか、そんなに甘くないよと。というか、こちらも大半の人がそうなんじゃないかと。
でも、僕はそれがきっかけでもいいと思ってて。
動機以上に必要なのは、知る「きっかけ」だ。
実際、単純にお金を稼ぐいだり、個人の望むライフスタイルを作る事業や商売であれば、ある程度実現できる。そもそも目的が自分の生活基盤を作り上げることであったとしても、別にその人が「あなどっている」わけでもない。ものすごく頑張るし、必死に事業を作り出そうとあがく姿もたくさんあった。
ただ、その目的が非常に「自己中心的」で、利用者や社会に対してどうしようという愛情がそこにあるかというと、「動機の段階では」存在しない。だからこそ、何か嫌な感じがしていまう。
ただ、人は変わっていくもので。
「起業したい」「理想のライフスタイルを叶えたい」といった自己中心的な欲求でも、自分自身の土台を築いたあと、社会に対して価値を提供したい、にビジョンが変わっていく。不思議な事に。もちろんそうならない人もいるだろうけれど、かなりの確立で誰かに何かを与えようとするようになる。
最初は誰だって不安だ。
自分の基盤も作れないまま、社会に対してこんな仕掛けをしようとか画策する余裕なんてどこにもない。けれど、そこから徐々に自分自身、地に足がついてくると変わってくる。生まれた余裕で、より社会に対して何か提供したいと考えるようになる。
そんな流れで変わった人は何人も見た。けれど、もし始めた段階で「自分のライフスタイル実現」のための起業をしていなかったとしたらどうだろう。後にその人たちが社会に提供することになった数多くの価値は存在しなかったし、また、その人に人生を引っ張りあげられた人は、今も悩んでいたかもしれない。
だからこそ、何が動機であれ、きっかけが大事だと考えている。そして、きっかけを掴んで事業を立ち上げるとき、きちんとビジョンや、進み方を教えてあげられるような場所や人が必要だ。少なくとも、一歩を踏み出そうとする意思は、たくさんの可能性を秘めている。その可能性を「あなどるな」で潰すことに、何も前向きな要素なんてないのだから。
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